地味な映画と地味な音楽が好き。
マノエル・デ・オリヴェイラ『世界の始まりへの旅』、
ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』が好き。
文系家人と11歳と8歳の女の子2人、シャルトリューの男の子とひっそり暮らし中。


灰谷健次郎『天の瞳 幼年編2、少年編1-2、成長編1-2、あすなろ編1-2』

灰谷健次郎『天の瞳』シリーズをちまちま読み中。現在あすなろ編2の途中。あすなろ編2の次はいよいよ最終話の巻なので読み終わるのも惜しいような気持ちになります。倫太郎ができすぎ君だけど、最終話は遺稿であり、灰谷健次郎のワイフワークだっただけあって、これがなかなかおもしろいです。


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あすなろ編1で昭和時代のハードルの高さがうかがえる文章。料理人ケンさんが子どもたち相手に魚のさばき方を教える料理教室の場面。

「包丁を持ってきた子は、それを台の上に並べなさい」
ケンさんは、包丁を並べなさいといったのだが、そうできたのは、倫太郎やミツルたち、ほんの一握りの子どもだけだった。
たいていの子は、ステンレスの包丁一本きりだ。
それだけで家庭の台所のようすの、およそがわかるというものである。
(中略)
「魚をさばくのには、ミツルくんのように、さいてい三本くらいの包丁を用意するのが望ましいね」
ミツルは、中、小の出刃包丁、と一本の刺身包丁を持ってきていた。
ケンさんは、それを一本一本、子どもたちに見せた。
「ステンレスの包丁一丁でも、やって、やれんことはないが、苦労するわりに、腕前が上がらんという欠点がありまんな。弘法、筆を選ばず、というのは、あれはウソや」


あー出刃包丁も刺身包丁もないー
煮物を教える場面で、味の素、という子どもの発言を受けて、

「このごろは、いろいろなものが売られているね。おおかたは主婦の手抜き商品。あんなものを使っていては、料理の腕は上がらん」


昭和の時代当時でもおそらく手厳しい発言……。料理人と主婦は違うと思うけども。


という時代を感じる描写はあっても、先進的な言葉も多々あって(こっちのほうがインパクトが大きい)、これが読んでるうちに見事に天の瞳ワールドになっていくわけで、「天の瞳」を読みつつ、並行して別の本を読んだりするけど、「天の瞳」ほうがおもしろいわーと思ってしまうくらい、パワーのある作品。