地味な映画と地味な音楽が好き。
マノエル・デ・オリヴェイラ『世界の始まりへの旅』、
ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』が好き。
文系家人と11歳と8歳の女の子2人、シャルトリューの男の子とひっそり暮らし中。


欲しいと思いつつ

すこし前から欲しいと思いつつなかなか手が出せない四方田犬彦の『テロルと映画』。


映画とテロルは不機嫌な姉妹だ。 映画が暴力の表象をスペクタクルにするとすれば、テロルは暴力そのものをメディアの内側で スペクタクルに仕立て上げる。9・11の厄難は『ダイ・ハード』を連想させ、『エッセンシャル・キリング』はありえたかもしれぬテロリストの逃走劇であった。ブニュエルファスビンダー、ベロッキオ、エリア・スレイマン、そして若松孝二といったシネアストが、これまでテロルに向き合い、映画を通してテロルを分析しようとした。誰がテロルを名づけるのか。それを問うことは、誰が映画を名づけるのかということと、ほとんど同義である。
四方田犬彦比較文化・映画研究)


できれば電子書籍でほしいけど紙版しかないみたいです。今月東京のアテネ・フランセ文化センターで『「テロルと映画」出版記念映画はテロルにどう向き合うか』という四方田犬彦本人による講義があるみたいで、なんかいろいろ私のなかでふつふつと盛り上がるんだけど手がでない。遠いなーおかーさん業に埋没してると遠い。