岸 政彦『断片的なものの社会学』のなかから
断片的なものの社会学 [ 岸政彦 ] |
路上生活者や風俗嬢、様々なひとにインタビューして逡巡した「断片的な」話がちりばめられた社会学の本。おもしろかったです。
ある地方議会でのセクハラヤジの話。男性議員からのヤジにその女性議員がかすかに笑ったことに対する違和感。
なにかに傷ついたとき、なにかに傷つけられたとき、人はまず、黙り込む。ぐっと我慢をして、耐える。あるいは、反射的に怒る。怒鳴ったり、言い返したり、睨んだりする。時には手が出てしまうこともある。
しかし、笑うこともできる。
辛いときの反射的な笑いも、当事者によってネタにされた自虐的な笑いも、どちらも私は、人間の自由というもの、そのものだと思う。人間の自由は、無限の可能性や、かけがえのない自己実現などといったお題目とは関係がない。それは、そういう大きな、勇ましい物語のなかにはない。
少なくとも私たちには、もっとも辛いそのときに、笑う自由がある。もっとも辛い状況のまっただ中でさえ、そこに縛られない自由がある。人が自由である、ということは、選択肢がたくさんあるとか、可能性がたくさんあるとか、そういうことではない。ギリギリまで切り詰められた現実の果てで、もうひとつだけ何かが残されて、そこにある。それが自由というものだ。
ある種の笑いというものは、心のいちばん奥にある暗い穴のようなもので、なにかあると私たちはそこに逃げ込んで、外の世界の嵐をやりすごす。そうやって私たちは、バランスを取って、かろうじて生きている。
自分に向けられた不測の事態に、反射的に笑ってしまう。私はこのタイプで、あとでなぜ即座に反撃に転じなかったのかと後悔したりする。このこと(この違和感)について、こんなに的確に最適な文字で見たことが衝撃。逃げ場とバランス。あまりに腑に落ちた。