地味な映画と地味な音楽が好き。
マノエル・デ・オリヴェイラ『世界の始まりへの旅』、
ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』が好き。
文系家人と11歳と8歳の女の子2人、シャルトリューの男の子とひっそり暮らし中。


なぜなら、それは無数の蛮行について沈黙することになる!

久しぶりにすごい好みかも、というデザイナーの服を発見。Marjolijn van den Heuvel(マルジョリン ヴァン デン フーヴェル)。というかだいたいファッション関係にはとても疎いので有名なのかも。載せた写真では伝えきれないルーズでフェミニンなかわいさ。欲しい。突然かなり好き。身長なくてもかわいく着れそうな気もする。で、調べてみたらアントワープ出身でマルジェラのアシスタントをしていたとか。そっかー。

映画『トロイのヘレン(Helen of Troy)』(ロバート・ワイズ/1955/アメリカ)。ホメロスの「イリアッド」をもとにした歴史モノ。ブラッド・ピットの『トロイ』ではなく古い方。トロイの王子とスパルタ王妃は開始10分で愛し合い、心はいつもあなたと一緒、と抱きしめあう。そして15分後には異常にカンのいいスパルタ王に浮気に気づかれ戦闘開始という展開のはやさ。脇役の若きブリジット・バルドーが愛らしい。

映画『自転車泥棒(Ladri di Biciclette)』(ヴィットリオ・デ・シーカ/1948/イタリア)。ネオ・リアリズモ。映像で認識できるすべてが当時のイタリアの現実ではない。けれど俳優らしからぬ素人俳優たちはその匿名性ゆえに個人ではなく全体を認識し、意識することができる。戦後の殺伐としたイタリア、やっと職を見つけた父親は仕事のために手に入れた自転車を盗まれる。悲惨な街、悲惨な生活、生きることという現実と真実。ロッセリーニ『無防備都市(ROMA, CITTA, APERTA)』(1945)、『ドイツ零年(Germania anno zero)』(1947)と同様の絶望感。こめられたメッセージ性よりも強い寂寥がある。

映画『月曜日に乾杯!(Lundi Matin)』(オタール・イオセリアーニ/2002/フランス、イタリア)。憂鬱な月曜日。いつもと変わらない日々。つかの間の自由を求めてひとりヴェニスへ旅に出る。イオセリアーニの映画は美しい。時間の流れが美しい。誰もが抱える孤独や憂鬱に暗さを与えず言葉を求めない。自由とは現実逃避をすることではない。けれど現実に直面することでもなく、日常のひとときの休息や仕草で解放される精神的な広がりが一瞬でもあればそれでいい。ささいな日常、何もない日常。憂鬱な月曜日は、ほんの少しで変わる。

映画『かくも長き不在(Une aussi longue absence)』(アンリ・コルピ/1960/フランス)。1961年カンヌ映画祭グランプリ受賞作品。大人の女性の心理描写。16年前にゲシュタポに捕えられたまま、消息を絶った夫。記憶喪失の夫。ただ、この映画の中では記憶喪失の浮浪者は夫だとは断言していない。不毛な会話。ささやかな幸福。一点の光、期待、オペラのレコード、ダンス、晩餐。女としての美しさの頂点を過ぎ、中年になり生々しくなった肉体。単純な物語のなかに複雑な想いが絡み合う。テレーズに投影された、独身デュラスが熟年にさしかかった心境。ラストの余韻。女はこうして美しくなる。「寒くなったら戻ってくるかもしれない。冬を待つんだわ」。