夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
斬るよりほか、わたくしに、すべはなかった。
日記を書いていない間はフロイン堂とかタカラヅカ展とか。
今日のgrafで見たかったものは2つ。最終日の「ELEY KISHIMOTO PRINT TRAVEL」展とスーザン・チャンチオロ「クリスタル マウンテン ブリッジ」展。ELEY KISHIMOTO×grafのコラボ家具でランチした後、スーザン・チャンチオロ展へ向かう。笑ってしまうような要素とチープさと乱雑とコラージュのアート。スーザン・チャンチオロ展は言葉にしにくいけれどとても好きだと思った。
映画『SWEET SIXTEEN』(ケン・ローチ/2002/イギリス、ドイツ、スペイン)。夢や希望を誰かが叶えてくれるわけではなく、自力で勝ち取るものだとおそらく幼い頃から思っているリアムやリアムの住む社会のリアルさは正直分からない。すべてを語らないケン・ローチの映画がなぜ痛烈か考える。幼いこと、生き抜く知恵。姉に肩をかして泣かせてやることは出来るくらいの男にはなれる。ラストの姉からの電話。背伸びしすぎたリアムは本物の16歳になっただろうか。土星の一日は10時間と14分、彼の一日はどのくらいだっただろう。
映画『リトル・ダーリング(Little Darlings)』(ロナルド・F・マックスウェル/1980/アメリカ)。(当時の)アイドルたちのひと夏の経験アメリカ版青春映画。マット・ディロンのアイドルぶりがまぶしい。
映画『過去のない男(Mies vailla mennisyyta)』(アキ・カウリスマキ/2002/フィンランド、ドイツ、フランス)。まったく過去にとらわれない人間なんてきっといない。思い出は誰にでもあるし過去の経験の蓄積が今に繋がるのかもしれない。けれどすべて忘れてしまったことに何の苦痛も感じない、これが痛快。現実にもしあわせはある。すべてを失ってた人間にも。カティ・オウティネンの静かな情熱がかわいい。日本酒と寿司を食べるところでクレイジーケンバンドの曲が使われているのがなんだかうれしい。フィンランドの風景はきれいだ。田舎も街も空気も色もきれい。ほんの少しのトイレのシーン、トイレが超機能美モダン。静かでじんわりくる作品。
映画『マイ・ソング(You Light Up My Life)』(ジョセフ・ブルックス/1977/アメリカ)。さえない女の子の成功と自立(主演のディディ・コーンの顔の系統が中学の時のモリタ先生に似ててチョットアレ)。
映画『6月の蛇』(塚本晋也/2002)。正直塚本晋也の映像はいまは求めてないんだなとぼんやり思った。新しくもなく想像の範囲を越えるでもなく美しいとも思わない。
映画『春にして君を想う(Children of Nature)』(フリドリック・トール・フリドリクソン/1991/アイスランド、ドイツ、ノルウェー)。フリドリクソンの映画の質感はいいと思うけれど、あまりにファンタジー的になると少し好みでなくなる。しかしこの作品のラストだけで私はこの映画が好き。テオ・アンゲロプロス『シテール島への船出』(1984/ギリシャ、イタリア、フランス)と同様、決して逃げたわけではなく、自分の思い描く自分の理想の居場所に行こうとしているだけ。歳をとればとるほど孤独や不安または生と死について寡黙に考えるのかもしれない。その寡黙さが私にはずしりと重く、理想の居場所とは何だろうと考える。
映画『みんな元気(Stanno tutti Bene)』(ジュゼッペ・トルナトーレ/1990/イタリア、フランス)。シチリアから、孫のお土産をかかえてスーツケース片手にイタリア各地へ散らばった5人の子供たちに会いに行くのはマルチェロ・マストロヤンニ演じる老人マッテオ。とても上品で上質なロードムービー。老人の夢見た理想は現実とあまりに違い、切ない。イタリアは思ったよりいいところじゃなかった、遠くから見ればなんでも美しく見えるんだ、きれいに見えるんだよ、というマッテオの言葉は重く、みんな元気だった、と亡き妻のお墓に語りかける優しさに涙する。マルチェロ・マストロヤンニが素晴らしい。いつまでも私の胸に残る。