地味な映画と地味な音楽が好き。
マノエル・デ・オリヴェイラ『世界の始まりへの旅』、
ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』が好き。
文系家人と11歳と8歳の女の子2人、シャルトリューの男の子とひっそり暮らし中。


必要にかられ 夜が昼を生み出すのを見た

シネ・ヌーヴォの"聖なる映画作家 カール・ドライヤー特集"。家人と『裁かるるジャンヌ』(1927/フランス)を見に行く。どこかでは生演奏付きで上映されていたみたいだけどこちらはサイレント上映。数ヶ月間にわたって続いた裁判をジャンヌ・ダルクが処刑された1431年5月30日の1日に凝縮したもの。有名なファルコネッティのアップのシーン、人間の顔を長いことスクリーンサイズで見続けているのは不思議に怖いと思った。必死に見ようとするとそれ以上のものが返ってくるような気がする。ドライヤーの映画は頭のなかで言葉が響き、群集の暴動では割れんばかりの声が聞こえるようで、『ヴァンパイア』(1932)とはまた色の違う作品だと思った。

帰ってきてから家人とドライヤーの映画の話をしていて、突然の群集の乱痴気騒ぎ=バフチンのカーニバル性理論を教えてもらった。へー、でもそういう映画(きっと小説にも)いっぱいある気がする。昔は人と映画の話をするのが苦手だったけれど、いまは家人と映画の話をするのは面白いと思う。なんでかな。

あっ文系オジサンと少女の間の、教えたい・教えられたい・なんならこのまま・この人いいカモ、みたいな心理ゲームのようだ。(オジサンでも少女でもないけれど/伝わってる?)