地味な映画と地味な音楽が好き。
マノエル・デ・オリヴェイラ『世界の始まりへの旅』、
ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』が好き。
文系家人と11歳と8歳の女の子2人、シャルトリューの男の子とひっそり暮らし中。


重たくのしかかる魂に一つの穴をうがつことを試みて、

何かを見よう、理解しよう、溶けこもうとした。

東京・自由が丘と大阪・立売堀にお店を構える FIQ(=FABRIC & FURNITURE in IDEAL QUALITY)。ファブリックと家具中心のステキショップだと聞いて行ったらほんとになんてステキショップ。いろんなテキスタイルがそれぞれかわいい家具や雑貨。むちゃくちゃ高くはないところが好感。そしてファブリック自体も販売していて、前に日記で書いたマッセメンシュの幾何学模様のスカートとまさに同じ柄のものを売っていて、心の中でちょっとはしゃいだ。サルビアとコラボーレートしたファブリックを使用した efffy のトランクとかも売っていた。欲しい。寺田順三のグッズもあったけど、こういうのは置かなくてもいいんじゃないかとも思った。

家人に教えてもらった近所のフレンチブルドッグをこっそり見に行く。かわいい。目があったらきゅんとした。

映画『ウィークエンド(Weekend)』(ジャン・リュック・ゴダール/1967/フランス、イタリア)。劇映画から離れ始めた頃のゴダール。夢物語は悪夢で終わるパリの週末の雑然さと倒錯と狂気と妄想。登場人物は叫び、泣き、怒り、走る。長い長いワンショットの渋滞シーン。ゴダールの演説。死体、銃弾、大量の血。森の緑と血の赤の対比が印象的。ヒステリックで猥雑で殺伐としたその様子に、「週末」から「終末」を連想させる。分断された映像で前後が分からなくなる。この映画はどこへ行くのか分からないという面白さ。本当は入らないくらいものをたくさん詰め込んでごった煮したようなこの作品。見終わった後にもう一度見ようと思った。

上記『ウィークエンド』で裸の女の股に生卵を落とすシーンで思い出したのは、少し前にちらっと読んだ中上健次の小説にも同じような性描写があったような気がして、何か意味があるのかなーて思った。ていうかゴダールの映画の観客への印象付け方はずるい。分かりにくい面白さ・難解な面白さというのはきれいな映画の面白さとは別。