地味な映画と地味な音楽が好き。
マノエル・デ・オリヴェイラ『世界の始まりへの旅』、
ビクトル・エリセ『マルメロの陽光』ラヴ。
文系家人と10歳と6歳の女の子2人、シャルトリューの男の子とひっそり暮らし中。


『欲望の翼(阿飛正傅/Days of Being Wild)』(ウォン・カーウァイ/1990/香港)


見たような気がしてたけど、いままで見たことのないウォン・カーウァイの作品。そして間違いなくウォン・カーウァイの最高傑作。約25年前の香港映画でこのクオリティはすばらしい。画面から感じる亜熱帯の香港の湿度、階段をかけあがるクリストファー・ドイルのカメラワークの格好良さ、挿入される音楽のセンス、断続的に繋がる青春群像のストーリー、当時アイドルだった香港豪華キャストを見るおもしろさ、好みです。


この映画に対するallcinemaの熱すぎる解説がおもしろいので転載。

そのスノッブさが、多くの香港映画から得られる直截なイメージから隔たっているという理由で、不当な批判も被っているウォン・カーウァイ王家衛)の大胆な青春映画である。


先の批評を下す人は、香港人をみなサモ・ハンやユンファのステロタイプに閉じ込めて事足れりとしているとしか思えない。香港にもアメリカかぶれがいて、B級ノワールグルーミーな雰囲気を愛し、それを60年代初頭を舞台にした青春群像に応用しようとして何が悪いのか? この作品は余りにも俗物的であるがゆえ、香港映画を観る際の新たな視点の要求に向けて革命的なインパクトをもたらした。6人の主要登場人物それぞれの視点が混在し、物語よりも感情の絡み合いと離反を描くことに主眼を置いた幻惑的な文体は、ギリギリの所で劇的に機能するのにも驚く。


ヨデイは養母レベッカに育てられ、自己の複雑な内面を持て余す青年、自分を足のない鳥にたとえ、飛び続ける人生を夢みる。彼は後にフィリピンを訪ねるが……。プレイボーイのヨデイに惑わされる身持ちの堅いサッカー競技場の売り子スーは警官タイドにも愛されるようになる。船乗りに憧れるタイドはやがて異国の地でヨデイと出会うだろう。ミミはレベッカの店のダンサーでヨデイに惚れぬいていたが、その親友で彼女に恋するサブにあてがわれる。そうした出来事と関係なく、最後、天井の低いアパートの一室で身支度をするギャンブラー、スマークが映し出されるが、これは結局作られていないパート2の序章なのである……。そのパラレルな時間感覚、映画のイメージを体現するペレス・ブラードのラテン曲の使用、C・ドイルの驚異的なカメラワーク……と、見どころ、聴きどころは枚挙に暇がない。